シリーズ 01 - エピソード 01 日本語版
シリーズ 01 - エピソード 01
日本語版
序文
私の名前はキム・ペーダセン。デンマーク人として生まれ育ったが、その人生は日本という、まったく異なるもう一つの世界によっても形づくられてきた。これまでずっと、その両方に属して生きてきた。
100%デンマーク人であり、同時に100%日本人でもある。
振り返ってみると、私の人生は分岐点の連続だったように思う。そこには明確な正解など存在せず、ただ決断しなければならない瞬間だけがあった。どちらを選んでも価値ある未来につながったであろう場面もあり、そのときは迷わず選んだ。また、何が正しい選択なのかをはっきり理解していて、その結果がどうなろうと構わず進んだこともある。
私は幼い頃から、やるなら徹底的にやる、そうでなければやらないという性格だった。一度決めたら全力で取り組む。後ろを振り返ることはほとんどなく、別の選択肢を選んでいたらどうなっただろうと振り返ることも少なかった。四十歳前後の頃、叔母に「あなたはお父さんにそっくりね」と言われたことがある。何事も100%やるか、まったくやらないかの人間だと。その点がまさに父と同じだというのだ。
叔母の言う通りかも知れない。
常にその時点で持っていた情報や経験、そして信念に基づいて決断してきた。もし同じ状況に、同じ知識を持ったまま戻されたなら、おそらく同じ選択をしただろう。だからこそ、「別の選択をしていたらどうなっていたか」という問いにはあまり興味が無かった。歴史は常に結果を知っているという有利さを持っている。しかし、人生にはそれがない。結果を知らずに選択するしかないのだ。
だからといって、すべてがうまく行った訳ではない。
私は間もなく60歳になる。ここ数年、長い年月の結果を振り返りながら、いくつかのことについて考えるようになった。本当にあのとき正しい決断をしたのだろうか、と。
後から振り返れば、違う結果になっていて欲しかったと思う決断は確かに存在する。その代償が非常に大きかったものもある。しかし、どの選択もその瞬間に存在していた私自身のものであり、今こうして文章を書いている人間のものではない。私は今でも自分の決断を後悔してはいない。ただ、もっと良い結果になっていて欲しかったとは思う。今の知識があったなら、違う決断を下していたものもあるだろう。
若い頃に持っていた絶対的な確信は、もはや持ち合わせていない。その一部は若さと経験不足から来ていた。そして多くは、私が受けた教育や育った環境によるものだった。さらに言えば、生まれつきの頑固さもあった。未だにそれはある。私は幼い頃から、自分がしていることは正しいのだと信じて育てられた。その確信と頑固さは、そう簡単に人が持てるものではなかった。
私は原理主義的キリスト教の家庭で育った。私たちは、自分たちだけが真実を持っていると信じていた。そう育った。数ある真実の一つではない。「唯一の真理」だった。神と議論する人間などいるだろうか。
他の人々はみな間違っていた。
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